信じるものを変える
今日は日帰り出張。
1日のうち、移動に4-5hも時間を費やしていることに気づきちょっとギョッとした。
移動時間の大半を睡眠時間を補うことに費やしてしまったけど(朝早かったから…)、これって冷静に考えると悪循環なんだよね。
日中何度も仮眠してるから夜眠くならなくて、ついつい夜更かししちゃう。で休日はブランチタイムくらいに起きて、昼寝して、また夜更かししての無限ループ。。。
寝る以外の移動時間の活用としてはpodcast 聞くかkindle読むかなんだけど、今日たまたまチョイスして聴いた心屋仁之助さんのpodcast がすっごく良かった!
テーマは「信じるものを変える」
人は常になにかを信じながら生きているもの。
意識はせずとも、ビルは倒れないもの、氷は冷たいもの、みたいに無意識に信じているでしょう?と。
「信じる」=「人」に「言われたこと」
多くの人が、無意識のうちにいちばん影響を受けているのが母親に言われたことだそうで、私にも思い当たる節があって子供時代のダークなキモチを思い出した。
小さい頃から母親に「あんたはブサイクだから手に職をつけなさい」と言われ続けてきたし、顔も整っていて勉強もスポーツもできた兄弟と比較され続けて苦しかった。
テストで良い点を取ったらご褒美をもらえるという家庭内ルールがあったので、ものは要らないから、頑張ったことを褒めて欲しくて、ギュッとしてもらうことをすがったら、拒否されたこと。これはもう脳裏に焼きつくほどのトラウマになってる。
こんなんだから、親元を離れるまでは自分はダメな人間、愛されないという思い込みがずっーとあって苦しかった。
でも大学生になって社会人になって、いろんな人の思考に触れ、ありのままのわたしを受け入れてもらえる喜びを知り、たくさん本を読んで、自分をよりよくする術を身につけ、今では自分の個性を好きになれたし、もう自分がダメ人間だなんて思うことはなくなった。
子供時代のエピソードを思い出すと憎しみにも似た悲しみが湧いてきていつも泣きそうになるし、今でも母親と会うときは少し複雑な気持ちなる。
子供時代の対応は一大人としてどうなの?と怒り心頭だし、あんなにわたしのことをディスっていたくせに、わたしが社会人として確立し、いつしか母親の中で自慢の娘になったことで、今ではコロッと態度を変えて接してくることにときどき悶々とした気持ちになる。
許す許さないという二択は現時点でできないけど、わたしが今こうやって健康に楽しく過ごせているのはそもそも肉体があるおかげ、母親が産んでくれたおかげだから。やっぱり母親を切り離すことはできなくて、一生この気持ちと付き合っていくものなのかなとも思う。
子供の大人代表は母親だから。
冷静に考えると母親に日々洗脳され続けているんだよね、子供は。
わたしはまだ子供はいないけど、もし自分の子供ができたときには、褒めて褒めて、ありのままを肯定して育ててあげようと思っている。そして1日に何度もギュッとして愛情を伝えてあげたいと思う。(いわゆる反面教師ってやつ)
ちょっと長くなったけど、まとめると
信じるものを変えたら、生きるのが楽になる。ということ。
わたしは自分を信じる!